近年あらゆるところで「IoT」という言葉を耳にするようになりましたが、それが意味するもの、そしてこれから私たちの生活にどのようなインパクトを与えるのでしょうか。
IoTという言葉ができるずっと前から約20年に渡って同分野を研究している「IoT研究の先駆者」である東京大学森川博之教授にインタビューし、これまでの研究を振り返るとともに、IoTのいまとこれからを語ってもらいました。
東京大学大学院 工学系研究科 教授 博士(工学)/ 森川 博之 氏
あらゆるものがネットワークにつながる世界
その考えは昔からあった
「モノのインターネット」と訳されていますが、どうもピンと来ません。一体IoTとは何のことなのでしょうか?
森川:ひとことで言うと、これまでネットワークにつながっていなかったものがインターネットにつながり、新しいことができようになることです。
わかりやすい例を挙げてみましょう。例えば、スマートフォンと同じように公園のゴミ箱にセンサーとSIMカードを搭載するのです。こうすることでゴミ箱の中のゴミの量を検知し、そのデータを通信すればどこからでもゴミの量が把握できるようになります。回収業者にとってみれば、ゴミの回収はゴミの量に応じて行えば済むため、これまでのように毎日行う必要もなく、回収コストが約3分の1になるとの試算もあります。
もう1つ、スペインのバルセロナにある「Teatreneu」というお笑い劇場の事例を紹介しましょう。この劇場では「Pay Per Laugh」といって、笑う回数に応じて課金をするというユニークなシステムの実証実験が行われました。劇場の椅子の背面にタブレットを設置し、タブレットに搭載されたカメラで笑顔を認識するのです。お客様は1回笑うごとに30セントずつ課金され、最大で24ユーロを支払います。まったく面白くなかった場合、支払いの必要はないというものです。
この実験は約3年間行われました。「笑ったらお金を取られる」ということでお客さんも簡単には笑わなくなってしまうのでは思うかもしれませんが、面白いことに、実際には顧客満足度も向上して、売上が増加したという結果が出ています。
新たな仕組みが生まれているのですね。つまり、IoTが浸透するためのベースが整ったということでしょうか??
森川:実のところいまIoTと呼ばれている技術の研究は古くから始まっているのです。2000年前後には「ユビキタス」という言葉が使われていましたが、これもすべてがネットワークにつながる世界を想定したものです。当時はセンサーの値段が高く無線技術もこなれていなかったため、私たちは自作でこれらの技術を用意し、センサーからデータを集めて何かできることはないかと研究していたのです。
例えば、服にセンサーを付けてランニングし、その時の運動量と温度や湿度などの天候情報を組み合わせ、システムが「そろそろ走るのはやめたほうがいい」とアドバイスする仕組みを作っていました。また、ユビキタスモンスターといって、仮想空間とリアルな世界を組み合わせ、レーダーで仮想空間にいるモンスターをキャッチするといった「Pokemon GO」のようなこともやっていましたね。当時はスマートフォンがなかったので、モンスターを探すためにノートPCを持ち歩いていましたが(笑)
森川教授はほかにどのような研究をされていたのですか。
森川:2000年台の後半には、加速度センサーで人の動きを判断し、信号待ちをしている時に広告を出すといったことや、橋のモニタリング、農業におけるセンシング技術の活用など、ビジネスの世界で活用できる技術の研究にも取り組みました。
いまではセンサーや無線、クラウドといった技術がすべて手軽に使えるようになりました。価格も大幅に下がりましたし、技術も進歩しています。特に手軽になったのは加速度センサーですね。これは、スマートフォンの普及によって誰もが普段気づかず使っている技術です。Wi-Fiも、街中いたる所で使えるようになったのはスマートフォンの普及が大きいですね。
IoTはこれからどれだけ普及する?
カギは利用者の「ペイン」
IoTの技術をベースにしたものですよね?このような製品が一般的に使われるようになると言われていますが、どうでしょうか。
森川:現時点では、まだ一般消費者にIoT関連製品が十分に普及しているとは言えませんね。スマートホーム関連で言えば、2014年にはGoogleが空調制御技術を持つNestという企業を32億ドルで買収しましたが、これも実際にはあまり普及していません。
普及が難しいのは、利用者が現状に満足してしまっているからです。「冷蔵庫はいま使っているもので十分」「空調制御もリモコンで間に合っている」と考えているのです。自宅のセキュリティシステムをIoTで実現することも可能ですが、すでにIoT以外の方法でセキュリティ会社と契約し、自宅を守っている人も多いですよね。
ですから、製品がいまあるもの以上の価値を提案し、それが価格に見合えば、新たな製品が普及するはずです。技術はもう揃っているので、あとはその技術を使って利用者にどんな価値が提供できるのかですね。それをいま多くの企業が探っているところです。
森川:よく「ペインポイント」(痛い点)という言葉を使いますが、これは利用者が「困っていること」を指します。利用者は、自分のペインポイントがどれだけ大きいのか、それがどの程度解決できるのかといった観点で製品の購入を検討します。さまざまなIoTデバイスを開発するにあたっては、そのペインポイントを明確にする必要があります。今後必ず利用者の心に響く製品が出てくるとは思うのですが、まだ時間がかかりそうですね。
一方で、経営者的な観点からも1つ言えることがあります。先程お話ししたスペインのお笑い劇場ですが、実は私が最初にこの話を聞いたとき、少し反省しました。どういうことかというと、もし私が劇場の支配人だったとしたら、お客様が笑わなくなるのではないかというリスクを恐れて実行できなかっただろうなと思ったのです。
でも実際には、お客様は自然にこのシステムを受け入れ、売上も上がったのです。これは新たなデジタルの世界の教訓としてとらえるべきですね。要するに、これからのデジタルの世界ではやってみないとわからないこと。大事なのは、「保守的な考えは捨て、とにかくやってみること」だと思います。
誰も今後は予想できない
だからこそ柔軟な発想を
これによってIoTの普及が加速することはあるのでしょうか?
森川:5Gでは、これまで移動通信システムにつながっていたスマートフォンだけでなく、さまざまなIoTデバイスがシステムにつながると予想されます。ただ、5Gも単なるツールに過ぎません。その上で何ができるかは、私たち研究者や企業だけでなく、消費者を含めて全員で考える必要があります。
IoTは、それほど派手なものではなく、仕事や生活の裏側をさりげなくサポートするものです。生活が少し便利になる、というところから徐々に広まっていくでしょう。それが将来的にもっと大きなインパクトを与えることになるかもしれません。
過去に生活を大きく変えた機械の1つが洗濯機です。家事の負担を軽減させるすばらしい製品ということで、それだけでもインパクトは大きかったのですが、これが普及したことで人は毎日洗濯するようになっただけでなく、それが洋服の需要増にもつながりました。これは洗濯機登場前には予想できなかったことです。
IoTも固定概念を取り払い、さまざまな人が面白いアイデアを出して試していけば、世界が変わるようなIoTデバイスに到達するかもしれません。いまはちょうどインターネットが登場したばかりの頃に近い状況だと思っています。当時は、インターネットで何ができるのか、誰もよくわからない状況でした。その時にインターネットが面白いと気づいた人は、成功しています。10年後の世界がどうなっているかなんて、誰もわからないのです。
これからのデジタルの世界も同じだと思います。今の状態が10年後も続くことはないでしょう。世界の変化を見越して、柔軟なアイデアが出てくればと思います。そうすることで、デジタルやIoTは一歩一歩進歩していくでしょう。